無敵じゃなくなるということ

一難去ってまた一難ぶっちゃけありえない。私はぷりきゅあではない。だから制服も着てないし、タフでもない。つらい。2018年、苦難の年である。まだ7月なので言い切るのも多少気が引けるようなところはあるが、それでも苦難の年である。やっと落ち着いたかと思ったらなにかが起きる、それがやっと落ち着いたかと思ったらなにかが起きる。楽しいことのあとにはなにか起きる。バランス取りすぎてる2018年。まいっちんぐつるの。

誰もわかってくれない

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ある日、左足の裏が痛くなった。元々歩くのが好きで、なぜかたまに気合いをいれて無駄に15km歩いたり16km歩いたり平気でしてしまうことがあった。その時に痛くなる場所と同じだった。安モンの靴を長く使うボンビーヒューメンなので足に悪いことは分かっていた。しかも今履いてる靴はちょっとサイズにゆとりを持っている。故に、ああまたやっちまったか、と思った。1日2日程度様子を見ていれば痛みが引くというのが常だったからあまり気にしていなかった。

しかし今回は少し様子が違った。痛いのである。もうとにかく痛いのである。思わず左足をかばって歩いてしまうほどに痛いのである。現代っ子なのですぐに検索した。症状ぴったりで原因にも心当たりのある症例にたどり着き、楽天ですぐにサポーターを注文した。足を引きずりながらの労働を終えて日曜日は休みだった。日曜の朝は気分が良かった。なんなら足の痛みもマシになったように思った。日曜日は好きなアイドルのライブがある日だった。行っちゃおうかな~、今日エミリちゃん普通にライブなんよな~。ゴロゴロしながら近くで洗濯物を干す母親の顔色をうかがった。あんだけ痛い痛いと大騒ぎしといて休みとあらば現場に行くのかよ、という程度の長文が顔に書かれていた。顔色どころの話ではなかった。あれは顔に書いてあった。私のアッピルもだんだんとトーンダウンして、まあ確かに念には念を入れよで今日は安静日にしよう。なんせ労働中に痛いのはとてもつらかった。遊びに行ってまた悪化したりなどしたら、怒られる上に自分がつらい。私は少しだけ大人になった。(そんなことはない)

大人になれない

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一日中布団で過ごした。(つるちゃんはふぁんたじぃな存在なのでトイレなるものには用がないのですが、とはいえ)トイレさえ我慢さえ最小限におさえ、一日を寝て過ごした。はっきりいってあれほど無駄な一日はなかった。収穫といえば、ヒマつぶしに見た架空OL日記が面白かったこと、後輩サエちゃん役の佐藤玲ちゃんがかわいいという発見くらいだった。少し足が痛んでいても、サエちゃんが出てくるシーンでは笑顔になった。大収穫だ。よく考えたら全然無駄な一日じゃなかった。有意義だった。まあそんな一日を過ごして、事件は夜に起こった。

ばんごはんができたよと言われ立ち上がった時だった。一歩踏み出した時だった。やんごとない痛みである。経験したことのない痛みである。足の裏の痛みで私は命の危機を感じた。あまりの痛みに足が踏み出せないのだ。足を宙に浮かせたまま、地につける勇気が出なかった。しかしそう言っていても仕方ないので、ゆっくりゆっくり歩いた。私は泣いた。今年で26ちゃい、ヲタク11年目。つるの。独身。やっとのことで柱によりかかって、左足を宙に浮かせて、泣いた。結構泣いた。ほろほろボロボロ泣いた。自分のことでこんなに泣くのは久しぶりだった。ヲタクの闇。

よくよく見たら腫れすぎて土踏まずまでぱんぱんになっていて、これはやんごとない、ついにきたのだ、ヤツ*1が…とまで思った。女性はなりにくいなりにくいと言われている痛風だが、基本的にはなる心当たりがある人生だった。最近はビールの摂取量も減ってるし大丈夫だと思うけど、それでもあまりの痛みにこれは痛風だと思った。だって風が吹いても痛い。これは多分、今寝室で絶賛稼働中の、起動から始動まで30秒ほどかかり、かつ弱でも中でも強でも同じ強さの風しか送り出すことができなくなっている死にかけ扇風機の風でさえ当たれば痛い。みんな痛風じゃない?と言った。違います!とキレながらも、私だってこれは痛風だと思った。

翌日早退して病院に行った。予約をしてなかったおかげで3時間も4時間もかかった。忙しいからか、お医者さんは虫の居所が悪そうでこわかった。レントゲン技師の人が足に無遠慮に触れるものだから、そのせいで骨が折れたと思うほど痛かった。結論、痛風ではなかった。非常に痛風に近い症状が出るという炎症だった。なにかしらが結晶化だかなんだか沈着だかなんだか、とにかく関節のレントゲンになにかが写っていた。薬局で処方箋を待つ間に色々検索したら、その炎症が出るのはオーバー60、むしろオーバー70が主だということを知った。だいぶ落ち込んでしまい、ツイッターで若者と思われるアカウントが同じ症状を呟いて同じことを告知されているのを探しては、安心するという30分を過ごした。おかげで処方箋を待つ時間が一瞬のように感じられた。ちなみに、若者が発症する場合は遺伝性だったり、代謝異常があったりするのだとか。代謝異常とかいうのはなんかまずそうなので、とりあえず遺伝だったということにして自分の中でこの件はオトすことにした。でも正直、血液検査をしたわけでもなんでもないので、未だに痛風だったのでは?という恐怖を拭いきれない。でもどう考えてもここ最近で痛風の発作が出そうなほどの食べ物をたくさん摂取した覚えもないから、やっぱり痛風ではなかったのかなとも思う。もうなんでもいい。なんかもうなんでもいい。どうでもいい。

どうでもいい

どうでもいい

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ちなみに日曜の夜は本当に本当に痛くてずっと泣いていて、ごはんを食べて(食欲さえ失っていた)からは布団から動かなかったのだけど、もう日付回る頃になってもめそめそ泣いていた。泣きながら架空OL日記を見ていた。サエちゃんが面白かったりかわいかったりするシーンでは一瞬痛みを忘れた。しかしもう痛くて痛くて仕方なかったからロキソニンを飲んだ。泣きながら、這うようにしてリビングに行き、ロキソニンを飲んだあとそのまま行き倒れた。しばらくしてから這うようにして布団に戻り、また架空OL日記を見ていた。ふと気が付くと一時間が経過しており、これまたふと気が付くとサエちゃんが出てないシーンでも痛みを忘れていた。鎮痛剤の偉大さをこれほどまでに感じたことはなかった。神だった。もうロキソニン以外信じないと決めた。私が信じるべきはロキソニンだけだったのだ。決めた。決めたけんもう変わらんもん!

今はもう腫れも痛みもだいぶ引いてきて、まだゆっくりしか歩けないものの労働にも勤しみ、色々と喉元過ぎたといった感じ。ピークにつらかった時は例によってヲタクとしてのメンタルが死んでいたが*2、喉元過ぎればいつもの調子、ヲタクとしてのエネルギーがニョッキニョキ。この週末は福岡に遠征する予定だ。しかしこのひと悶着があったせいで、もしかしたら行かせてもらえないのではないか?という懸念があった。またも母の顔色をうかがいながら福岡の話を切り出したところ、母の顔には大丈夫かいな知らんでまた痛くなってもというようなことくらいは書かれていたけれど、新幹線の切符も取ってるんやったらしょうがないよなあ、との返答。なるほど、交通手段を確保していると確かにキャンセルしにくい。これはよい気付きだ。これから家を出づらい日は「もう御堂筋線の切符取っちゃってんねんなあ~」とでも言えばいいのかな、と思った。

*1:痛風

*2:ヲタク、人間としての困難に直面するとヲタク心を忘れる